だー。
あー。
もうさー。
俺さー。
宵宮祭ロスー。
毎年の事とは言えさー。
宵宮祭が終わった直後は仕事が手につかねー。
ブログ更新も進まねー。
だからさー今回もこの本の二章を引用しとくから勝手に見てー。
おやすみー。
~写真で解説! 観亀神社 第二章~
著 七福
芸妓や舞妓は、やはり見られる仕事だからか綺麗な芸妓や可愛らしい舞妓がいる。
そして個人的な見解ではあるが、とりわけ祇園東には美人が多い(異論は聞かない)。
ここからは、この宵宮祭で写真を撮らせてもらった魅力的な芸舞妓を少しづつ紹介する。
(↓ つね和さん。祇園をどりのパンフレットでは立方の筆頭である。ちなみに立方とは踊り担当の事)
つね和さんは、秋に行われる祇園東の一大イベントである祇園をどりでセンターを務めながら、奉納舞などの年中行事では芸妓や舞妓の世話までこなす、まさに文字通り祇園東を陰になり日向になり守り支えるお姉さん。
うちの夫婦が大リスペクトするベテラン芸妓さんの一人だ。
逆に、比較的最近デビューした舞妓を順不同で紹介する。
まずは叶朋さん。
(↓ 叶朋さん。キリっとした目元が大人っぽく、芸妓姿が似合いそうな予感)
叶朋さんと話してる時に芸妓が二人通りかかり、なにかを受け渡していた。
それを見て妻が「なんのやり取りかなぁ」と言うので私が「マリ〇ァナじゃない?w」と言うと、叶朋さんが「クレイジージャーニーの世界どすねぇ」って呟いた。
読者の皆様はご存じだろうか、街の地下に住む麻薬王やケニアのスラム街を取材する、妻の好きな番組の名前だ。
濃いめの番組名が出てきてビックリしたが、意外にも叶朋さんは好きで、よく観るそうだ。
好きな番組に共通点があった妻は、それ以降、叶朋さんに少し親近感が湧いたらしい。
これ以降、妻は叶朋さんの事を「ジャーニーちゃん」と呼んでいる。
(↓ 舞妓さんのイメージに合わない番組名も出してしまう飾らない性格で親近感を感じた)
ちなみに妻が叶朋さんをジャーニーちゃんと呼ぶようになったのは「それじゃ意味が違ってくるからジャーニーちゃんにしなさい」と私が言ったからである。
妻は最初「クレイジーちゃん」と呼んでた事だけは絶対に本人に言ってはいけない。
文音さんも祇園東の舞妓の中では出たての妓である。
出たての妓ではあるが、祇園東の他の芸舞妓と同様に愛想が良く、宵宮祭が始まった直後は早々に囲まれていた。
(↓ 文音さん。手前には筆者以外のカメラが文音さんの目線を待つ)
この時は話せなかったが、この後に少し話せた。
「少し」というのは他に挨拶回りがあったようで、話せたのが少しだったからだ。
しかしこの妓は人懐っこい性格なのか、筆者らが他の舞妓と話してる時にも、ちょこちょこ顔を出してくれて、この観亀神社の宵宮祭がほぼ初絡みの妻も好感を持ったようだ。
(↓ 上の写真には無かった笑顔いただきました)
二章での最後の紹介となる舞妓は満彩野さん。
満彩野さんは、七福夫婦が揃ってリスペクトな満彩美さん、これまた七福夫婦が揃って仲良くしてくれてる満彩希さんのいる「まん」の妓である。
(↓ 満彩野さん。お茶屋まんの前にて)
満彩野さんの事は満彩美さんや満彩希さんを通して仕込みの頃から知っていたし、見世出しの挨拶回りでもパパラッチしたが、どんどん舞妓姿が板についてきた。
そういえば、うち夫婦が歩いてると、他のお客さん達の相手をする合間だったようで、こちらを向いてポーズをとってくれた。
(↓ 通りすがりざまにポーズをとる満彩野さん。筆者はすかさずシャッターを切ったが…)
上の写真では満彩野さんの手前に見知らぬオッチャンが立っており、ちゃんと全体が撮れなかった為、もう一度リクエストしたら更にニッコリと応じてくれた。
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観亀神社の宵宮祭、そのまま来てももちろん楽しいが、そりゃ花街の世界をある程度知ってから来た方が楽しい。
でも花街文化は保守的というか閉鎖的な世界でもある。
インターネットの情報では過剰に美化されたり、あるいは大正時代以前のような偏見に満ちた妄想が流布されてたりと、正しく詳しい知識を得る方法が限られているのも確かである。
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芸妓や舞妓と仲良くなってから宵宮祭に来たら、もっと楽しい。
しかし、そもそも花街は一見さんお断りの世界。どうすれば仲良くなれるのか分からない人が大多数だろう。
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